愛と思いやりが守る命

Mです。

 先日、熱中症に関する動画をアップし、多くの皆様にご覧いただき、心から感謝申し上げます。 その後、熱中症に関する報道が減ったため、各学校で適切な対策が取られたのだと思います。 これは非常に素晴らしいことだと感じます。 今後も、「学校」が「熱中症」において、「大切な命」を守り続けたいと思います。

 さて、以前、私が学校で勤務していた時、朝登校した生徒が既に熱中症になっていたことがありました。 その経験から、管理職は迅速な対応を取るべきだと判断し、登校中に傘を差すことやお茶を飲むことを許可しました。 帰りの時間に気温が36度に達した際には、生徒の安全を最優先に考え、下校時間を遅らせる判断が行われました。

 これは、「子どもたちの命を守るため」に管理職が率先して行った決定であり、その結果、熱中症の発生が大幅に減少しました。

 職員からの提案もあったかもしれませんが、最終的な決定権は管理職(校長さん)にあります。 更に言えば、校長さんが現在の課題に直面し、迅速な対策を講じることが非常に重要です。 時間が待てない状況にあります。

 熱中症は問題の一部に過ぎませんが、「子どもたちの命を守り」「安心・安全に生活できるように」という視点から、管理職がどれだけ問題を理解し、行動できるかが極めて重要であると感じました。 また、「子どもたち」に焦点を当てるだけでなく、「安心・安全な環境を確保するため」に教職員に協力を仰ぐことも重要です。 逆に、管理職として最善の提案を行う必要もあります。

 ただし、時には「子どもたちの命を守るため」「安心・安全な環境を確保するため」に管理職が何も行動しないこともあります。 これにより、児童生徒だけでなく、教職員にも多大な負担がかかります。 そして、早急な対策を講じなかった結果、管理職の方々がさらなる困難に直面することもあります。 これでは皆さんが疲弊してしまいます。

 私は単なる一兵卒であり、この立場で述べるべきことではないかもしれませんが、管理職の方々の行動が私たちの楽しい勤務環境を築きました。 逆に、何も行動しなかったことが病気につながりました。

 今、特に初任者から3年目の先生方が苦しんでいる状況を考えると、管理職への期待が高まっています。 その理由の一つに「管理職への意見が反映されない」「管理職の支援が不足している」「管理職が問題を無視している」という声があることは非常に悲しいことです。 管理職の方々も非常に大変な立場にあることを理解しています。

 未来を担う児童生徒と教職員に、「今できる対策」を提案し、協力していただきたいと思います。

 どうぞよろしくお願い申し上げます。

数字のトリックと少数派意見が通る世の中?

小谷ちいです!

SNSを見ているといろいろな数字が出てきますね。

今回は、今有名(話題)になっている○○市の数字に関して気になったことを話します!

話題の苦情が殺到していて、反対(賠償はおかしいなど)が98%以上、賛成(賠償〇市長〇)が1%程度だそうです。

そして、その都市の人口は約145万人です。


さて、問題は賛成の1%がどんな1%なのでしょう?

145万人に対しての1%だと約1.5万人、結構な数の方が賛成しています。

電話が1000件の場合、賛成は10人程度です。1万件でも100人程度です

あれ?かなりかけ離れてますよね?

首長が前者の数字で話しているのであれば、かなりの人が首長に賛成している事になります。それならちょっと考える必要があります。

ところが後者の場合は、ほとんどの人(140万人以上)が反対(おかしいと思っている、もしくは何でも良いと思っている)しているわけです。

私も、法律を見せてもらったり、意見を聞かせたりしていただいて確かめました。「税金」という面では、大切なお金ではあります。しかし、「故意または重大な過失」に当たらないと思います。だから、賠償する必要はないと考えました!


そして、極論(いいですか!個人的な意見ですよ!)になってしまいますが、たった10人~100人(首長のお友達や親戚だけ?)+首長の意見が通ってしまうとなれば、大問題です。少数派の意見がまかり通ってしまうのです。

「炎上商法」ではありませんが、少数派の意見で日本が揺らいでしまっては、子どもたちがかわいそうです。言いたいことも言えなくなってしまいます。ポイズン~♪

みなさんは、どう思われますか?

勇気をもって聞いてみた

Mです。

病休になる前の学校で、私のことがどのように伝わっていたのか。ずっとそれが気がかりだった。逆に、ここまで追い詰めた人たちはどうなっているのか。

結論は、「状況は全く知らず、戻ってくると思っていた。」「今凄く大変。」

前者は「びっくり」だったが、後者は「やっぱり」であった。


少ないながらも、心おきなく話せる方が1名見えたので、突然電話をかけた。最初はびっくりしていたが、とても嬉しそうに話してくれた。

先生方の中で「私が急にいなくなって、悪者(言うだけ言って、急にいなくなったことに対して)扱いしているのではないか」と直に聞いてみた。しかし、「そんなことはない」との返答。「4月から戻ってくると思っていた。」とのこと。逆に言えば、私の状況はさておき、私の中で「苦しませた人」は普通に仕事をしている事が分かった。

「今凄く大変」は、どう考えても分かる。あまり書くとばれてしまうので、守秘義務発動しますが、これも結論から言うと私がやっていた、「職員を裏でうまく回す人が全くいない」ということ。


学校を運営するに当たって、管理職を中心に気持ちよく業務をこなすことが基本だが、すべてそういうわけにもいかない。

実は、担任のちょっとした言動、教務や管理職の動きなどを見て、「これはおかしい」「ここは対策を打たなければ」という直感を働かせて、声をかけて、解決させていく人(裏方)が必要。それは担任だけではなく養教さんだったり事務さんだったりする。

それは、弟子の先輩先生から教えてもらった。そして、裏方に徹することも必要。

何故か。児童生徒と一緒で「自分で課題設定をし、自己解決をする」事をしなければ、成長しないから。全部こちらでお膳立てをしてしまったら、その先生は成長しないし、学校も変わらない。ただ、私でなんともできない人は、管理職に直接言った。


さて、その自分がいなくなったということは、そういう「裏方」がいなくなり、学校がバラバラになっていくわけです。で、今「大変」だと。

「Mさんがしていたことが、今なら分かる」と電話で話していました。

「裏方まで育てれば」もうちょっと制御できたかもしれないが、すべての苦情、ハラス〇ント(っぽい)を受けていた時点でアウト。

とりあえず、心の引っかかりの一つは取れました。

あ、「裏方」は、働き方改革にも通ずるものがあるので、またどこかでお話できたら。

何故そこまで「熱中症」にこだわるのか?

Mです。

毎日、ちょこちょこXの更新をしています。みなさんの意見にも、自分なりの考えやジョークを返信しています。

本当は、「アンケートに答えて欲しい!」とブログで発信したいのですが、やっぱりSNSを使ってもZ世代の人たちまで届かないのでしょう。それは仕方がありません。1人の方、本当にありがたいです。岐阜県教育委員会が同じようなアンケートを先取りしていたので、やる意味はあるかと言われると疑問ですが。


 さて、3日前から「熱中症」について、動画制作をしてアップし、何度も引用したり言葉を変えたりしています。こだわりすぎ?かと思われるかもしれません。でも、これぐらいこだわっても、来週のどこかで「熱中症」が起こるでしょう。もし「命」に関わったらどうしますか?そして、「次はうちの学校?」があり得るのです。

 「命」ここがポイントです。「遠く離れたところ」「隣の市」で大きな事故が起きた時、最初は「気を付けなきゃ」と思って活動するでしょう。しかし、すぐに「大丈夫だろう」になります。現場にいたのでよく分かります。そして、学校の誰かが「熱中症」になります。あれほど言ったのに。

 「目の前」で起きて、「初めて気付く」のです。「ああ、なんで」と。その時はもう遅いのです。絶対嫌ですが、「目の前で起こらないと」変えられないのです。決して起こってはいけないんです。

 自分は、起きてから「危機管理」特に「子どもたちの命と安全」には、かなり神経を使いました。その指導には、かなり自信があります。

 あ、ついでに、読みにくいと思うので、Xの愚痴を載せておきます。


これを見ずに「知ってるよ!何言ってるの!?」とスルーして、月曜日何か起きたら「ああ、見とけば良かった」になる。危機管理とはそういうこと。

15人しか見ていない。まあそういうものさ。

本当に近くで誰かが犠牲になって初めて気付く。 朝元気に「おはよう」と言って、ある時間、突然「ぇ!」なんて事がある。あった。実際、先週あった。でも、また起きた。 自分は、命の大切さを知りものっすごく伝え実践してきた。自信はある。だから遠くで起こっても、目の前の「子どもの命を守って」

今でも当時のこと、1日はっきり覚えてますよ。


 「いいね」はめちゃめちゃたくさん頂きました。大変嬉しいです。でも、見たのはたった15人です。15の学校しか救えないかもしれません。たった1分です。「命を大切にするため」観ていただけませんか?

 もしも、これを読んで、気持ちが少しでも変わったら、これ幸いです。二度と辛い気持ちになる保護者、児童生徒、先生が0になるように。

 幸いと辛いは、たった1本違うだけ、その1本を入れるか入れないか。それは、やるかやらないか。

個人のサーバーとVTuberを選んだ理由

Mです。

昨日は熱中症の話題で持ちきりでしたので、急遽動画を作って拡散をお願いいたしました。教員は「分かっているって」と言っても、自分本位(自分は大丈夫)と思っているので、児童生徒一人一人の体調になかなか目が向かず、ちょっとした活動で熱中症になり、焦ってしまうことは多々あります。

特に、夏休み明けです。ずっとクーラーで生活していたところから、いきなり暑いところでの生活はさすがに厳しいです。特に、睡眠不足は何度も言いますが致命傷です!

そして、まだ不調を訴えてくれる児童生徒は何とかなります。「我慢」してしまう子はさらに大変です。X(旧Twitter)でも記載しましたが、後遺症だってあります。「やらなくてもいいならやらない」勇気を持っていただけると、児童も教員も楽しい生活が送れるでしょう。


と、サーバーの話しでした。

何故、noteなどのブログ系ツールを使わずに、個人サーバーでHPまで立ち上げてブログを書いているのか。

理由は…特にありません!ただ、個人サーバーを持っている、個人アドレスを作れる(300?)費用はかかりますが、ドメイン名(アドレスの名前)も決められる。(今は大昔に付けたドメイン名をそのまま使っています。でも、かわいいのでそのままです)使わないのももったいないと思い、そのまま使っています。そしてWordPressがどのようなものかも興味があり、やってみている状態です。面倒になったら消せますし、将来何か起きれば有料の所へ行ったり外注したりする可能性はあります。その踏み台なのです。

あ、強いて言えば、noteに掲載するほどの文章力がない!所でしょうか。


VTuberを選んだ理由

それは、小谷さんが憑いたから。と言うことも大きいですが(ぇ、大きく3つ

1.自分が顔出し・声出しがNGなため

 現在も病休中とは言え、公務員として勤務しています。これだけのことができれば、復職可能だろうと言われそうです。しかし、とにかくコミュニケーションができない、学校に近づけない、建物に入れない自分がいる。そうしたときに、「○○先生、Youtubeやってるよ」なんてなったら大変です。その時は即辞めますが、それでも「治療中の身」ですし、まだ治っていない。治ったら顔を出すかと言われると、出しませんが。

2.「自分の好きなこと」として少しずつできている

 PC作業が昔から好きですから、病気を治すためにも何かできることがあればということで、やっています。ここまで復調するまでに約半年、VTuberとしての形を形成するのにもかなりの時間を要しています。本当に少しずつです。特にYoutubeに関しては知識0カラのスタートです。

 動画制作は、教員時代からやっていて、流行病の際、Youtubeに動画を掲載する話になったとき、教育委員会から「やり過ぎ」と言われるほどこだわって作っていました。

3.誰かに何かの形で引っかかるには?

 「自分の思いを訴えるなら、コミュニケーションを取るなら、面と面を向けた方が信頼度は増す」事は十分承知しています。Xを見れば、発信されている方々は、どの方も顔を出し、堂々と自分の意見を主張しています。そして、みなさんに伝わり広がっています。

 ただ、自分が顔出しNGを差し置いても「訳の分からない人が何かしゃべっている」ということに抵抗感のある方も万一いるかもしれない。若い人たちは、「年配者の言うことよりYoutuberやVTuberの話しを楽しく聞きつつ理解する可能性がある」かもしれない。と言う仮定を立ててみたときに、いろいろ調べて「VTuberありかも」と思ったわけです。「何とか形にできそう」と思った所もあります。


 少しでも打開策を見つけることで、自分がこれまで経験したことを特に若手教員に伝えて、学校をまるごと変えて欲しいし、退職してからのセカンドビジネスにつなげたらなあと思っています。まだまだ甘いところやぬるいところもありますが、それでも止まっているよりかはましかなと。

支援員を増やす方向なのは何でだろう?

小谷ちいです!

今日は、先週辺りから、話題になっている「教員業務支援員(School Support Stuff 以下SSS)」で感じたことです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/539d3ba41aa36350d92cc270126d6d5658536db1

国は、どうして教員を増やさず、支援員を増やすのでしょうね。文科省としては教員増やしたいけど、財務省が首を縦に振らないんでしょうねぇ。35人学級でもだいぶ揉めましたから。

教員を増やすとなると、数千億単位でお金が動くことになりますし、地方にも負担がかかります。特に地方は3分の2の負担になるわけですから、その余裕はありません。だったら大卒すぐか定年退職した教員を講師にした方が安く済みます。また、SSSさんなら、時給は安い!県に負担はかかりにくいですよね(多分)。さらに、もうすぐ103万の壁もなくなって、働いている人全員が社会保険に入るようになる予定です(たしか)。

苦肉の策だとは思いますが、SSSさん20000人もやりたい人がいるのでしょうか?今は、人手不足です。年齢制限もかかるでしょう。他のアルバイトの方が時給が良ければ、みんなそっちに流れます。

昔、「議員は将来の事なんて考えてない。自分の老後のことだけ考えてやっているだけ」なんて話、聞いたような聞いてないような。えへ。

記事と実際(裏話)

小谷ちいです!

昨日、岐阜新聞、今日は教育新聞に次の内容が掲載されましたね。

記事の内容から、「イメージ先行」な部分がありますね。先輩教師からの話やネットの情報などから休日出勤、残業、待遇などが良くないと思っているのだと思います。事実ではありますがw

しかしながら、学校によっては改善されていることも多くあります。(部活動以外:来年度以降はまだ不明)17時を過ぎたら電話に出なくても良い、18時には退勤するよう会議や打ち合わせなどを簡略化しているなど45時間を越えないように試行錯誤をしている学校が多いです。

昔は、初任者は地元から離れ、一人暮らしをしながら務めていましたが、今では地元(その近く)で努めています。家族の助けも借りて、その分の負担も減っています。初任者研修も簡素化されています。

待遇については、実は、岐阜県は初任給は良い方です。待遇もここ10年で良くなってきています。(ただし、経験年数が上がると他の都道府県と逆転しますが)


そうなると、やると良いことは

〇イメージの回復

〇若手教員に対するフォロー体制の充実

ですね!

イメージ回復としては

「○○県はどの市町でも教員の待遇で~なところが優れています!」

「残業が少なくなるよう、県内統一で~な事をしています!」などブラックなイメージを払拭する発信が必要ですね。それもいち早く進めなければ、どんどん他の都道府県と教員の取り合いになっちゃいます。それは悲しいことです。

若手教員のに対するフォロー体制の充実に関しては、今かなり難しい場面だと思いますよ。

「働けない」ちょっと真面目な話に記載しましたが、周りの先生たちが多忙な様子を見たとき初任者の先生は「質問」できるでしょうか?「初任者指導の先生」に聞けるのは週に1回です。5日後に間に合うでしょうか?18時には退勤するよう促されます。じゃあ誰に聞けばいいんですか?聞けずに毎日を過ごせば、疲弊していくのは時間の問題です。

話を変えれば、初任者の先生は着任したらすぐに企業で言う「係長(主任)クラス」です。部下(児童生徒)をまとめつつ、いろいろな作業をこなさなければなりません。それも着任してから1週間もたたないうちに。サポートしてくれる先生はたくさんいますが、多忙です。(また、先生によって言うことが違うともう混乱w)研修も、勤務をしながら1年かけて行われます。

(多分?働いたことがないので分かりませんが)企業であれば試用期間があり、1ヶ月~半年近く研修があり、サポート役が付き、いつでも質問したり、姿を見て学んだりできます。

「どちらが良いか」は、人それぞれでしょう。それでも「聞きたいときに聞けない」というのは「フォロー体制が整っていない」事になりませんかね?

Mさんは、病気持ちでコミュニケーションが難しい状態ですが、「フォロー体制の一角になる」事でこの状況は打破できないかと考えています。

若い人たちの一助になれたら

(なので質問などどんどんくださいね!アンケートもよろしく!)

なぜ「できた」のか読み解く=児童生徒理解

小谷ちいです!

土曜日に、おそばを食べに行きました。本当に美味しそうですし(私食べられない)、量も並~大まで同じ値段!すごくないですか?そして安い!

とまあ、そんな話しはさておき、このチケットですが「美味しいそばをお腹いっぱい」と書いてあります。これを、幼稚園の年長さん(Mさんの娘さん)がすらすら読んだんです!どう思いますか?実際は「おいしい おそばを おなかいっぱい」と読みました!純粋に「すごい!」と思う中で「どうして読めたのか?」が気になっちゃたんですよね。

娘さんは、①本を読むのが好き。ひらがなカタカナをまあまあすらすら読むことができる。②漢字という概念は知っているが読むことはできない。

そうなると、「美味しいそばをお腹いっぱい」が何故読めたのでしょう?

みなさん考えてみてください!(答え?っぽいのは下記)


これが「児童生徒の理解」であり「分析」となります。

話しが逆になりますが、「今日、Aさんは算数で計算を間違えていたけどどうしてだろう?」や「何人か質問の答えが書けていなかったけど何でだろう?」など、児童生徒が「つまずいた」ところを思い出して「要因」を導き出します。それに対して「明日、こんな手立てを打ってみよう!」と繰り返すことで、「児童生徒理解」が深まり「授業力」が高まっていくと思います!(なかなかこれができないんですよ)言いたいことはこれでした!

しかし、よくあるのが「あの子はどれだけ教えても何も分かってない」「文字を書くのが嫌いなのか知らないけど、全然書こうとしない」「なんで昨日やったのにもうできないの」など、「児童生徒を否定する」考えです(保護者も然り)。その子を「分析」し「理解」もせず、勝手な解釈で済ませてしまう。それは「教える」ことではありません!

もうすぐ2学期(もう2学期・前期の終盤)です。児童生徒の「つまずき」には、何か「要因」があります。その要因が1つでも見つけられれば、その手立てが打て、その子の「わかった・できた」につながると思いますよ!


答え?

まず写真を見て、それっぽい内容を推察していますね。

「○○しいそば」なので多分「おいしい」かな?と解釈したかな?

「そば」はいつも「おそば」と言っているのでそのまま読んじゃった!?

「お〇いっぱい」は、そばを食べればお腹がいっぱいになるから、予測して読んだ!

「予測して読む」のはすごいのですが、「誤読」してしまうこともあるので、聞こえたときに間違っていたら修正してあげたいですね。でもすごい!

個別最適な学びと表現

小谷ちいです!

今日、MさんがX(旧Twitter)で児童生徒の学びと「表現」について返信していました。

例えば、学習指導要領(社会)を読むと、

小学校社会科で養う「表現力」とは,考えたことや選択・判断したことを説明す
る力や,考えたことや選択・判断したことを基に議論する力などである。その際,
資料等を用いて作品などにまとめたり図表などに表したりする表現力や,調べたこ
とや理解したことの言語による表現力を育成することも併せて考えることが大切で
ある。
 「説明する」とは,物事の内容や意味をよく分かるように説き明かすことであり,
「説明する力」については,根拠や理由を明確にして,社会的事象について調べて
理解したことや,それに対する自分の考えなどを論理的に説明できるように養うこ
とが大切である。「議論する」とは,互いに自分の主張を述べ合い論じ合うことで
あり,「議論する力」については,他者の主張につなげたり,互いの立場や根拠を
明確にして討論したりして,社会的事象についての自分の考えを主張できるように
養うことが大切である。(学習指導要領より)

あれ?「書く」はないですよね。「言語による表現力」は国語科などと連携しているとはいえ。

そうなると、今までノートやプリントに自分の考えを「書く」こと「だけ」で「評価」することは指導要領に沿っていないんですよ。

そう考えたとき、「Aさんは字を書くのは苦手だが、自分の考えを元に説明することができている」となれば、Aさんは「表現することができる」ことになりますね。

「Bさんは、教科書の写真を使って示しながら説明ができる」事だってあるでしょう。

「Cさんは、話すことは苦手だが自分の考えを書いてまとめることができる」「Dさんは、担任が少し話し方(書き方)のヒントを与えると、自分の考えをまとめることができる」などなど。

全員が「ノートに書く」のではなく、一人一人表現方法が違っても良いのです。(これが大変なのですよぉ)

特に1年生の生活科、1学期(4~7月)に「プリントに文字で自分の気付きを表現する」事は本来はあってはならないことレベルだと思いますよ。だって、小学校に入ってからひらがなの読み書きを本格的に習うんですから!幼稚園や保育園、こども園では、「ひらがなに慣れ親しむ」までです。「なんで(文字が)書けないの?」って言われてる子を見てるとかわいそうで。

例えば、Mさんは1年生担任のとき、「あさがおの観察でいろいろな気付きを表現する」場面で、一人一人どんなことに気付いたか「聞いて」いました。もっと言えば「文字」からでも「絵」からでも何でもOK、とりあえずかいて持ってくる。そして、一人一人説明を聞いていました。書いた文字を読む子、絵を指さして説明する子。みんな「気付きを表現」できていますよね!困っている子には、ヒントを与え、表現できたら「そうだね。○○だね。」と評価していました。

話がそれてしまいましたね。ああ、後は「授業時間内に表現しなければならないか」と言うことです。学校で学んだことを家で復習して「表現」してもいいと思います。保護者との話題になれば、さらに深まりませんか?保護者と考えて「動画撮影」をしてタブレットから担任に送信したっていいじゃないですか。ダメなんですかね?むしろこっちの方が「主体的に学ぶ」観点を踏まえたら素敵だと思います。

いかがでしょうか?

文章を書くと言うこと

こんにちは、Mです。

ようやく、小谷ちいのプロフィール動画が完成しました。本人なりに頑張ったようです。ただ、「頑張った」という言葉は、精神疾患の方には禁句です。また、児童生徒の中には「学校に来るだけで頑張っている」という子もいます。その子が「頑張れ」と言われても、「自分は学校に来て勉強しているだけでも頑張っているのに、これ以上何を頑張れって言うの!」と辛い気持ちになってしまうわけです。

一人一人の思いは違います。その子の特長や環境もあるでしょう。様々な点を考慮した声かけが大切ですね!

さて、今このように文章を書いていますが、「話す・聞く」と「読む」では、当然ながらかなりの格差があります。個人的には「聞く」方が得意で、「話す」は病状や自分の思いや考えを伝えにくいと言う観点から、あまり得意な方ではありません。当然「話し」たことで相手を不快な思いにしたことは多々多々あります。そのため、今「書く」こと(アウトプット)を大切にしています。話したいことを文章化する。読み返して相手に伝わるかどうか添削する。まずはそこからです。

これでも担任を持っていたときは、毎週必ず通信を出しました。A4表に学級であったことを文章化し、保護者に伝えました。(この良さはどこかで)でも成長はしたのかな?

ついでに「読む」ですが、崩壊していますね。小さい頃から読解力がなく、赤点レベルでした。書いてあることの裏(真理)が分からないことが多いのです。要は文才がない。自分の書いた文章を読んでも「これでいい」と思ってしまうし、いざ読んでもらうと「よく分からない」となるわけです。

なぜ、こんな話をしているか。自分がSNSで発進した際、「上を目指して頑張る」と書いてあった文章で「誤解」が生じてしまい、相手が「良かれ」と思っていろいろアドバイスをしてくれたということがありました。自分はそんなつもりはなく「楽しみたい」という思いだったのに、相手を惑わす文章を書いてしまった。

後で理由を話しましたが、やはり誤解を生んでしまったことは申し訳ないと思います。これからもSNS塔で発信していくので、身バレに気を付けつつ、みなさんの役立てればと考えています。

でも、相手の方は「よかれ」と思っていらっしゃるので、そのアドバイスは受けたい。これがご縁になれば良いですね!