ブログ

このエントリーをはてなブックマークに追加

サイト管理人のブログです。

ブログ一覧

野生動物を大切にしたいが

小谷ちいです!


先日、森のくまさんが倉庫に立てこもってしまったことがありました。捕獲されたのはまだ良かったのですが、その後の処理が行われました。

思い出すのは、約400年前、私は大谷様のお墓の前に立っていた頃のこと。あの頃、野生動物がたくさん行き来していました。鹿、猪、猿、狐、ウサギ、たぬき、カモシカ、そして熊など、多くの生き物が私たちの周りで暮らしていました。


太古の時代、人々は木の実を拾ったり、野生動物を捕まえたりしながら各地を移動し、一日一日を生き抜いていました。稲作が始まり、村落ができ、人々は定住生活を始めました。おかげで飢えが減り、耕作技術の進歩によって国が栄えました。しかし、野生動物の捕獲は昭和中期まで続きました。

ちなみに、ウサギは「1羽、2羽」と数えるのが正しい表現です。これは、かつて牛や猪などを「匹」や「頭」と数える動物を食べることが禁じられた際、ウサギがタンパク源として重要視され、「羽」と数えられるようになったと言われています。


さて、今回の話は「森のくまさん」に関するものですが、鳥獣保護法に従い、処理されました。その理由は「生活環境の保全」です。可哀想なことではありますが、これは「住人たちのため」なのです。

大谷様のお墓の近くには村があります。鹿が育てた野菜を食べ尽くすことや、猪や猿が子供たちを襲うことがあれば、どうなるでしょうか?熊も同様で、その力は人間にはかないません。素手で倒すなど、フィクションの世界の話です。

昔から野生動物は人間の作物を求めてやってきましたが、最近、その頻度が増えています。その背後には「森の食糧不足」と「知恵」が影響しています。

山の中に実をつける樹木が減少し、温暖化により果物が年々少なくなっています。野生動物の中には、人間の畑で食事をする方法を覚え、夜の間は人がいないために積極的に作物を食べることを覚えたものもいます。

例えば、もうすぐ柿の季節ですが、庭に柿の木があると、猿や熊が美味しい時期に訪れ、実を食べてしまうことがよくあります。


この問題に対処するため、市町村では「生活環境の保全」を目的に、害獣とされる動物を捕獲・処理する猟師が活動しています。この取り組みはあまり注目されることはありませんが、ある小さな町では年間に鹿が100頭以上、猪も数体(豚コレラで減少)、熊も数体捕獲されました。猿だけは処理ができず、追い払うだけになります。

また、実をつける樹木を増やすために、休耕田をビオトープに変え、野生動物が住民の近くに来ないようにする自治体もあります。


「可哀想だけど処理する必要がある」と「住民たちの安全を守る必要がある」とのバランスを取るのは難しい問題です。人間と動物、双方が「生きるために必死」なのです。

「共存」が理想ですが、この問題は2000年以上も続いています。誰かが素晴らしい解決策を提案し、実行に移してくれることを期待しています。

娘が論理的に説明している…

こんにちは、Mです。

国語科では、光村図書の2年生向けの単元として「おもちゃの作り方」があります。この単元では、具体的な手順を追いながらおもちゃの作り方を説明する力を養います。

同様に、生活科でも、1年生では秋に収穫できる自然の資材(どんぐりや紅葉した葉、枝など)や、2年生ではリサイクル可能な材料を使用しておもちゃを作り、友達と一緒に遊んだり、下の学年におもてなしをする楽しい活動が行われています。

おもちゃ作りや遊びを通じて、子供たちは様々なことを学びます。その過程で、どのようにおもちゃを作ったかを説明することも大切なスキルの一部です。

このように、異なる教科を横断して論理的にコミュニケーションする能力を育むことが目的です。上記は一例ですが、今では学んだことを他の教科で活かし、より具体的に展開する取り組みも行っています。


実は、保育園や幼稚園でも、生活科と似たような活動が行われています。野菜の栽培、折り紙の折り方、ダンス、おもちゃ作りなどがその一部です。

そして、娘の話になるのですが、先日、リサイクル可能な素材を使っておもちゃを作り、それを家に持ち帰りました。ある日、突然、そのおもちゃの作り方を私に説明してきました。以下は、5歳児が話した内容です。

「まず、ティッシュペーパーの箱を用意します。次に、トイレットペーパーの芯を4個用意して、それを貼り付けます。その後、段ボールを猫の顔の形に切って貼ります。最後にスズランテープを使います。注意:スズランテープは一般的なテープではありません。これを貼り付けたら、完成です!」

素晴らしい説明ですよね!5歳児がこれほど具体的に説明できるのは驚きです。


ただし、2年生の学習単元に移ると、途端に説明が難しくなる児童が現れることもあります。これには2つの主な理由があります。

1つ目は「書く」こと。話すことと文章を書くことは異なります。文章では「ですます調」を使用したり、漢字を使ったりすることが求められます。そのため、接続詞や段落を使い、説明の順序を明確にすることが重要です。短冊に要点を書き出し、文章を整理する支援が役立つでしょう。

2つ目は「具体性」。2年生の学習単元では、長さや大きさなどの具体的な情報を提供する必要があります。この部分で算数の知識や技術が必要となることがあります。苦手な児童の場合、算数の復習が役立つかもしれません。

以前、2年生の担任を務めた際には、授業中に児童が段階的に文章を書くことをサポートしました。1段落ずつ要点を書かせ、完成したら提出させる方法を用いました。個別に児童の進捗を確認するため、机間を巡視するよりも効果的でした。

ただし、誰がどのおもちゃを作っているのかを把握し、事前に計画を立てることが大切です。授業の成功に向けて、しっかりと準備し、子供たちと共に成長していく機会を楽しんでください。

ブロック塀事故とその対策について

(これは個人的な意見です。様々な意見がありますので、反論等はご容赦ください。)

小谷ちいです!

先日、児童がブロック塀を触ったら、塀が落下し怪我をした事故がありました。

怪我をした児童が1日も早く治って元気に生活できることを願いたいですね。

さて、今回の事故ですが、以前から古くて危険であったと言われていて、さらに倒れてから分かったことで、必要であった鉄筋が入っていなかったということです。

怪我をした保護者は、学校に対して腹を立てていて、その後、教員や保護者が通学路のブロック塀を点検し、危険な箇所があれば要望をしたと言う事です。

伝聞のため、詳細は確定していない可能性があります。

そして、ニュースやSNSを見ると、

「何故教師がブロック塀の点検をするのか、おかしい」「プロじゃ無いのに、見て何が分かる」や

「保護者は、何故学校に対して腹を立てている?ブロック塀の設置者に文句を言うべき」

など「教師が点検をしていること」や「設置者に問題がある」に注目が集まっています。


さて、ここからは小谷ちいの意見です。

今回の問題は2つ。

1つ目は、点検はしていたものの「危険な箇所と分かっていれば、行政や学校が通学路を変更したり、安全に登校できるよう配慮する必要」があった。保護者もその点を問題視している。

2つ目は、「児童が人のものを触らなければ、事故は起きなかったかもしれない」と言うこと。

では、この問題点を解決するためにはどうしたらよいのでしょう?

小谷ちいは、解決策まで考えますよ!

1について

教員は「市町村教育委員会に服務している」ため、各自治体で「雇用」している形になります。そうなると、首長や教育委員会から「点検して欲しい」というお願いが来たら、「点検をする」のです。

ただ、さっきの話のように「素人の点検」だけでは問題になりますが、点検を実施し、修繕を依頼し、通学路変更や歩道の設置を要請した事実をしっかりと記録する必要があります。それでも「鉄筋が入っていなかった」「かなりの経年劣化が進んでいた」事があっても、「その点は分からなかった」と言い切れます。先生方の身を守るためには必要な点検なのです。

さらに「首長」から「このような事故が二度と起きないように行政でどのような形を取るか明確にする」事も重要です。事故のあった某市では、ブロック塀の点検や撤去の補助を始めました。対応としては早い方だと思います。このように「方向性」が明確になれば、今後安心できると思います!

2について

「人のものを触ってはいけない」この事に尽きます。

こんなことありませんか?

登下校時にガードレールや人の家のフェンスを触ったり、傘で「カンカンカン」と当てたり叩いたりしながら帰っていませんか?

友達のものを勝手に触ったり持って行ったりしていませんか?

「触法行為」、今回は器物破損に当たりますか?は、やってはいけないと、学校や保護者、地域の方がしっかりと話しておくことが重要だったと思います。この話をしていれば、児童はブロック塀を触らなかった(かもしれません)。そうすれば、事故は起きなかった(のかもしれません)。学校の指導の部分で足らなかった(のかもしれません)。


これらの課題を解決するためには、以下のようなアプローチが考えられます。

「点検の必要性」

「学校、家庭、地域でできたであろう指導」

もしかしたら事故は防げたのかもしれませんね。

ICT 何故いけないの?

小谷ちいです!

1人1台タブレット、授業でPCを使ってディベートなど、学校でICT化が凄く進んでいますよね!

そういえば、Mさんが学校に勤めている時に、気になったことがあります。

それは、ICTに関わって、次のことがダメだということです。理由はあるのですが、これからの社会をよりよいものにしていくためには、必要じゃないのかな?と思っていました。

では、どんなことでしょう?(ちょっとだけ誇張していますが、まあ事実です)


① 児童のタブレット入力は3年生からで、ローマ字入力じゃないとダメ

 Mさんが、1年生や3年生にひらがな入力を教えていたときに、

「どうして1年生にキーボード入力を教えているんです?ダメじゃないですか?」

「3年生なのに、ひらがな入力なんですか?ローマ字入力教えないとダメですよね?」

逆に、「すごい!」という先生もいましたよ!


② 同様にマイク入力もダメ

入力が苦手な児童が、マイクでしゃべって入力しているのを見て、

「なんでこの子にそんな入力方法教えているんですか?マイクなんか使ってはダメですよね」


③ まとめはプリントに絵と文字を書かないとダメ

3年生で、PowerPointを使って写真と文字入力でまとめているとき、

「なんで紙やノートにまとめを書かせないんですか?写真見て絵をかかないとダメだと思います」

逆に「きれいにまとめられていて凄いね」という先生もいましたよ!


④ 個人で紙のノートはいいのに、タブレットの手書き入力はダメ

個人用のタブレットに書き込みたいのに、

「カメラがついているからダメ」「情報漏洩したらどうする?」「児童が勝手に触るだろう」


⑤ クラウドストレージを家庭で使ってはダメ・個人クラウドも同様

「家や学校ででウィルスに感染したら困る」

みんな困っていました。


こんなこと言われていましたが、まあまあスルーでやっていたみたいです。

では、各項目のポイントを押さえてみましょう!


①について、PCやタブレットに入力する方法です。

特別支援学級で、1年生にひらがな入力を教えてみたところ、1ヶ月も練習したら、すらすら打てるようになっていました。ありがたいことに、ひらがなが読める子が多かったこともありますが、毎日5分ぐらい練習するだけで十分でした!

日記も、予定帳に書くだけじゃなく、やりたい子はTeamsなどを使って入力したものを送信させていました。これも毎日やるだけで、かなり上達していました。両方やるからこそ、力が付きました。

3年生でローマ字を覚えます。それを使って、ローマ字のキーボード入力を行うのですが、ローマ字を理解していなければ、ひらがなからローマ字に頭の中で変換ができません(本来はものすごく脳を使います)。そして、アルファベットを探して入力するわけですから、かなりのハードルがあります。

別にローマ字でキーボード入力ができなければ、就職できないわけではありません。今の人たちは、フリックの方が早い人もいます。そう考えたときに、「ローマ字入力でなければならない」理由は何でしょうね?


②のマイク入力についても同様です。どのような入力方法でも、できることに越したことはありません。ただ、マイク入力に関しては、発音がしっかりしている必要があります。発音練習も兼ねて入力できますから、一石二鳥です!

Mさんの娘さん(5歳)は、スマホで文字入力ができません。そりゃあフリックもローマ字も分かりませんから。しかし、マイクを使ってしゃべれば、文字が入力できることは知っています。じいじやばあばに文字でメッセージを送るときには、マイク入力で文字を入力し、送信しています。

ここでポイントになるのは、「入力された文字が正しいか判断できる力」です。

マイク入力での問題は「漢字に変換されてしまう」事です。

低学年で使った場合、マイク入力した文章が本当に正しいか、漢字は合っているか分かりません。「正しいかどうか判断」できないため、間違った文章になってしまうこともあります。

娘さんは先日の話ではないですが、「類推」するため、合っていることを確かめてから送信しています。

「類推」できるようにするためには、繰り返し文章を読んだり聞いたり、書いたりする必要はあります。


③は、まとめ方ですね。先日の「表現」について掲載していますので省略です。


④は個人的な意見です。

毎日資料が山のように出てきて、読んで、ファイルに挟んで、必要なものは職員室から教室にかごいっぱい(5kg以上)の資料を持って行く。

ある先生に「M先生、このことについて教えてください」と言われたとき、HPで調べることは容易だけど、資料に書いてあることを見つけようと思うと、まずはファイルを探し、プリントを探し…ものすごい手間。棚の中にあるかもしれない。探すだけでも手一杯になる事がありました。

職員会資料は、3ヶ月でファイルいっぱい。そうなると年度末には4冊になる。おそろしい。

もし、全部PDF化して、タブレットの中に入っていれば、探すのも重さも楽ですよね。持ち帰って読むこともできます。

研修会などでも、タブレットに文字を書き込んでいけば、データとして残ります。こんなに使い勝手がいいのにダメなのにはちょっと納得がいきませんでした。

理由は上にも書いてありますが、おかしな話です。カメラは隠せばいい。それだけのことです。

紙のノートを落としたら100%誰でも読めます。タブレットを落としても、パスワードがかかっていれば、基本見ることはできませんし、10回間違えれば全部消えます。⑤の話にもなりますが、クラウドに入っていれば、盗まれることもほぼ無くなります。

10年後には、先生のタブレットに資料、教科書、赤本、自分のノートが入っていて1kg以下のはず。


⑤はおかしな話です。ただ、地域によって規定が違うのでなんとも言えませんが、私の地域ではクラウド×でした。

理由は上記ですか、クラウドストレージの方がよっぽどウィルスチェックが厳しいです。

家でつなぎっぱなしにしない。ブラウザを使う。パスワードの漏洩に気を付ける。

それができれば、帰り道に資料を考えて、家でサクッと入力、学校で出力ができます。


みなさんの地域はどうですか?

個人のiPadだけでもOKにしてくれていれば、Mさんはもっと働き方改革進められていたんでしょうね。

指導の変な?こだわり

Mです。

長い年月、教壇に立ち続けてきました。けれども、正直に言って、もう疲れました。今日も、阿久根先生と話していましたが、何も変わらない現状にがっかりしています。私は教育は改革すべきという信念を持ち、10年後の授業形態を考えて前進してきたつもりです(もちろん、現状のアイデアも試しました)。

しかし、周囲の状況は平成初期の水準から変わりません。恐怖政治?が蔓延り、児童生徒や保護者の責任に教育の不振を押し付ける風潮が根強いです(もちろん、これは例外的なケースですが)。同時に、多くの人が「最近の若者は…」と文句を言いながら、実際には何も変えようとしません。これは他の職場でもよく見られる光景です。

かつて、教員採用試験の集団面接で「部活動についてどう思うか?」と質問されたことがあります。当時は「部活動指導は当然のこと。結果がすべてだ!」という考え方が主流でした。他の受験者は、「部活動指導を通じて感動を提供したい」「優勝させたい」と言っていましたが、私は異を唱えました。「部活動は反対です。代わりに授業に集中すべきだと思います」と率直に述べました。周囲は驚き、面接官も驚いたことでしょう。でも、私は自分の信念を堂々と表明したのです。

当然、その年は不合格となりました。しかし、今では部活動が地域に根付いています。私の考えは正しかったですね。


また、昔、一度病気にかかり、「無理をしてはいけない」という事に気付きました。それからは残業を最小限に抑えるように心掛けました。週に1回だけ残業し、基本的には定時に帰宅するようにしました。平日の残業時間は20時間以内に収められたと思います(週末にがっつり仕事をした場合でも、最大でも30時間まで)。一方、他の人々は週に80時間以上も残業していました。

もちろん、周りからは不審な目で見られることもありました。しかし、今では残業を減らす必要があります。私の考えは正しかったですね。


残業を削減するには、クラス内でのトラブルや問題をできるだけ減少させることが肝心です。一度問題が発生すると、それに対処するために多くの時間がかかってしまいます。

そこで、担任が子供たちに対してどのように指導するかが大切になってきます。

例えば、小学校1年生の児童には、「基本的には先生は怒らないけど、これだけは怒ります」と伝えました。同様に、学級懇談会の場で保護者にも伝えました。それは、「法を犯してはいけないこと」です。他のことについては、絶対に叱りませんし、怒りません。

法律で禁止されている行為、すなわち傷害や物を壊すこと、交通ルール違反などについては厳格に指導しました。しかし、先生が好き嫌いで生徒を叱る法律は存在しません。勉強ができないことに対しても、叱る法的根拠はありません。学校に通っているのは学びたいからであり、勉強ができないことを責めるべきではありません。法律は社会生活において守るべきルールです。特別支援が必要な生徒たちでさえ、法を尊重しています。そのため、法的な問題が発生しても、怒り返すことはありません。

ただし、その背後にある事情や感情にはしっかりと耳を傾けるべきです。よく、「A君が叩いた」「Bさんに悪口を言われた」という「結果」だけを叱ってしまいますが、なぜ「A君が叩いた」のか、「なぜBさんはその子に悪口を言ったのか」という「要因」を探ります。

そうすると実は「C君が変なことを言ったから叩いてしまった」「Dさんが私のものを触ったから悪口を言った」と言うことがあるかもしれません(むしろあると思ってください)。

そうすると「C君が変なことを言わなければ、A君は叩かなかったよね」「DさんがBさんのものを触らなければ、悪口を言わなかったよね」

これは、喧嘩両成敗ではなく、「要因を探して、それをしっかりと指導する」ことを意味します。また、一方的に叱ってしまっては、もしこのようなことがあれば、叩いた子や言われた子には嫌な思いしか残りません。それは、あってはならないことなのです

家に帰って保護者に伝えたら火種になってしまいますよね?残業が増えます。


そこだけしっかり抑えれば、後は「仕方ないなあ」で済みます。そうすれば、無駄な労力も使いません。理不尽に叱ることもいりません。余分なエネルギーを使わなくても良いのです。保護者にもそこだけ伝えれば良いのです。

ほら、業務が減るでしょ?残業も少なくなります。