指導の変な?こだわり

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Mです。

長い年月、教壇に立ち続けてきました。けれども、正直に言って、もう疲れました。今日も、阿久根先生と話していましたが、何も変わらない現状にがっかりしています。私は教育は改革すべきという信念を持ち、10年後の授業形態を考えて前進してきたつもりです(もちろん、現状のアイデアも試しました)。

しかし、周囲の状況は平成初期の水準から変わりません。恐怖政治?が蔓延り、児童生徒や保護者の責任に教育の不振を押し付ける風潮が根強いです(もちろん、これは例外的なケースですが)。同時に、多くの人が「最近の若者は…」と文句を言いながら、実際には何も変えようとしません。これは他の職場でもよく見られる光景です。

かつて、教員採用試験の集団面接で「部活動についてどう思うか?」と質問されたことがあります。当時は「部活動指導は当然のこと。結果がすべてだ!」という考え方が主流でした。他の受験者は、「部活動指導を通じて感動を提供したい」「優勝させたい」と言っていましたが、私は異を唱えました。「部活動は反対です。代わりに授業に集中すべきだと思います」と率直に述べました。周囲は驚き、面接官も驚いたことでしょう。でも、私は自分の信念を堂々と表明したのです。

当然、その年は不合格となりました。しかし、今では部活動が地域に根付いています。私の考えは正しかったですね。


また、昔、一度病気にかかり、「無理をしてはいけない」という事に気付きました。それからは残業を最小限に抑えるように心掛けました。週に1回だけ残業し、基本的には定時に帰宅するようにしました。平日の残業時間は20時間以内に収められたと思います(週末にがっつり仕事をした場合でも、最大でも30時間まで)。一方、他の人々は週に80時間以上も残業していました。

もちろん、周りからは不審な目で見られることもありました。しかし、今では残業を減らす必要があります。私の考えは正しかったですね。


残業を削減するには、クラス内でのトラブルや問題をできるだけ減少させることが肝心です。一度問題が発生すると、それに対処するために多くの時間がかかってしまいます。

そこで、担任が子供たちに対してどのように指導するかが大切になってきます。

例えば、小学校1年生の児童には、「基本的には先生は怒らないけど、これだけは怒ります」と伝えました。同様に、学級懇談会の場で保護者にも伝えました。それは、「法を犯してはいけないこと」です。他のことについては、絶対に叱りませんし、怒りません。

法律で禁止されている行為、すなわち傷害や物を壊すこと、交通ルール違反などについては厳格に指導しました。しかし、先生が好き嫌いで生徒を叱る法律は存在しません。勉強ができないことに対しても、叱る法的根拠はありません。学校に通っているのは学びたいからであり、勉強ができないことを責めるべきではありません。法律は社会生活において守るべきルールです。特別支援が必要な生徒たちでさえ、法を尊重しています。そのため、法的な問題が発生しても、怒り返すことはありません。

ただし、その背後にある事情や感情にはしっかりと耳を傾けるべきです。よく、「A君が叩いた」「Bさんに悪口を言われた」という「結果」だけを叱ってしまいますが、なぜ「A君が叩いた」のか、「なぜBさんはその子に悪口を言ったのか」という「要因」を探ります。

そうすると実は「C君が変なことを言ったから叩いてしまった」「Dさんが私のものを触ったから悪口を言った」と言うことがあるかもしれません(むしろあると思ってください)。

そうすると「C君が変なことを言わなければ、A君は叩かなかったよね」「DさんがBさんのものを触らなければ、悪口を言わなかったよね」

これは、喧嘩両成敗ではなく、「要因を探して、それをしっかりと指導する」ことを意味します。また、一方的に叱ってしまっては、もしこのようなことがあれば、叩いた子や言われた子には嫌な思いしか残りません。それは、あってはならないことなのです

家に帰って保護者に伝えたら火種になってしまいますよね?残業が増えます。


そこだけしっかり抑えれば、後は「仕方ないなあ」で済みます。そうすれば、無駄な労力も使いません。理不尽に叱ることもいりません。余分なエネルギーを使わなくても良いのです。保護者にもそこだけ伝えれば良いのです。

ほら、業務が減るでしょ?残業も少なくなります。

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