戦争と戦没者追悼式

小谷ちいです!

昨日「終戦日は9月2日だから移動させた方がいい」という記事を見ました。9月2日に締結したからと言うのが大きな理由なのですが、日本人の心としては8月15日が良いですね。お国柄もありますし、お盆と重なっている事で「追悼する」という観点では今のままが良いかと思います!

さて、朝ポスト(ツイート)した内容から、Mさんの祖父の話をします。

あまり話したがらなかったそうです。当時30歳近くだった2人の祖父は、兵士として戦地へ赴きました。一人は東京で空襲に遭い、目の前に爆弾が落ち、車が飛んできたそうです。もう一人は、戦地で腹を撃たれて、九死に一生を得ました。実際に撃たれた痕も見せてもらったようです。目の前で戦友が亡くなる姿もたくさん見たそうです。「こんなことは2度と起こっちゃあかん」なんて話していました。

今日の毎日新聞でも、生の声が聞けなくなっているとありました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/45ab6c4a26bf802c9626e5d8a988cc3657685ac8

何とか記録を残して、戦争の悲惨さや今の生活が幸せである事を、これからの世界を担う児童生徒に伝えたいものですね!

「働けない」ちょっと真面目な話

Mです。

HPやX(旧Twitter)を見ていただきありがとうございます。最近Xの方は、ポストしすぎなのか、あまり歓迎されていないかもしれません。(インプレッション数が全くないので)何とか動画を上げて、理解していただきたいと考えています。

さて、現在、自分は教員として在宅中(要は病休中)です。2回目でかなり重いと思います。

ただ、これだけ発信できているのなら「仕事ができるんじゃない?」と思われるかと思います。むしろ思われて当然でしょう。それでも、このようにPCで作業ができるようになったのはつい最近です。半年以上かかっています。

そして「働けない」訳は「他人と関われない状況に追い込まれたから」です。「働き方改革」とか「ブラック企業」とか「定額働かせ放題」とは、ほど遠い原因です。

自分なりに「働き方改革」をして、残業は月20時間以下にするよう努力しました。できないことは「できない」と言いつつ、どの先生が困っていても「やりますよ」と言って、何でも一緒に解決してきました。「児童生徒の幸せのため」であれば、働くことに対して全く気にならなかったです。

「他人と関われない状況」ですが、家族で出かけると、周りの目や言動が気になって、かなりのストレスになります。1時間が限界です。人と話すこともほぼほぼできません。言葉が出てこないのです。顔の見えない通話ですらまともにしゃべれません。職場すら見たくない。思い出すから。(とはいえその当たりにたくさん建っていますが)それぐらいです。この原因は、また機会があれば話したいと思います。

でも「他人と関われない」となると、教師として致命傷です。でも「若手教員の育成」をしたいという思いは、5年ぐらい前から考えていました。早急の課題である事も、当時の初任者指導の先生(元校長)と一緒に話し合うこともありました。今の校長とも話しています。

今の病状からすると矛盾点があるのですが、「少しでも人と関わることができるようになる」方法として、今までの経験を生かして「若手教員の育成」から切り拓いて行けないだろうか?と考えているわけです。

私が1人職場に戻るよりも「若手教員を毎年+10~20人育て上げる」方が「児童生徒のため」になるのではないか?という仮定です。今の児童生徒同様、様々な考え方をおもちの方が先生として頑張ろうとしています。その一人一人を大切にした支援をしたいなぁ。(一人なのでそれぐらい、30人行けるといいな。その方法も後日お話できれば)

「働きながらやればいいじゃないか」とお思いでしょうが、それができていないのが現状です。それをやれば余裕で月60時間以上の残業になります。初任者指導の先生がいますが、週に1日です。「今聞きたい」事は1週間後です。周りの先生方もいますが、激務です。教務主任や学年主任が「初任者指導」の側面を持っていますが、教師不足で回っていません。それを見て若手教員は「質問」できるでしょうか?「相談しても良いですか」と言えるでしょうか。若手は悲鳴を上げています。きっと悩んでいることが多いと思います。

愚痴を言えば、雲の上の人たちは「児童生徒を大切に」と言うものの「教師を大切に」とは言わないですし、行動も起こしてくれません。使えなければ、放ります。「誰もが大切な存在」だと有言実行してもらいたい。

と、話しはずれましたが、「10年後に自信をもって働くことのできる教師+100~200人の育成」を考えています。「甘い」考えかもしれません。でも、能動的になれば、きっと変わる。そう思います。その発信の場を、まずネットにしています。試行錯誤して、少しでもよりよいものができればいいなぁ。

私は、若手教員の方々からの質問や相談があれば、できるだけ答えたいと思います。(今ならXのメッセージが一番速いと思います。23時までね。)よろしくお願いいたします。

(ここまで読んでくれる方はいないかもしれませんが)昔、講演会で某市長がこんなことを話していました。

「PDCAサイクル」でことを進めていては遅いことがある。気になったのならまずは「D(do)」やってみて、良い結果が出そうであればそこから「P(plan)」すれば良い。予算も付ける。待ったなしである。

私は、この言葉を信じています。planなんてありません。doしてます!

水道代は誰が払うの?

学校では職員の「安全点検」をしています。これは、「児童生徒が怪我なく安心して暮らすため」に、月に1回(かな?)職員で分担して確認をします。

この主任をしていましたが、「安心して暮らすため」確実なチェックをお願いしました。当然自分も週番や日直の時に、確認をします。不備があったり危険箇所があったら即座に管理職に伝えました。それでも何年も前の不具合が見つかります。先生方も安全面については十分留意されています。遊具については外部委託もしています。

さて、水道代ですね。予算のことや行政のこと、いろいろ絡み合っていて今回の請求になったかと思います。

↓ 設置者は行政。管理責任者は校長です。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo1/003/gijiroku/attach/1421376.htm

光熱費は行政が適切な予算を組み、支払っています。例えば、近年の物価高やクーラーの設置などで電気代は跳ね上がっていて、予算オーバーをしています。なので、補正予算を組み、議会で承認し、支払っている状況です。

水道代についても、同じようなことが言えます。

しかし、今回の件が「過失」と言われてしまうと、法律上は責任者(校長)に請求がされてしまいます。

民法で、過失は「損害が発生すると予想しそれを回避することができたのに避けなかったこと」です。「水を出しっぱなしにしたら、水道代がかかる」と予想でき、「水道を止める」という回避を知りつつ避けなかったと言うことになります。(法律に詳しくないのですみません。個人的な意見です。まだいろいろあるのですが、そこは追々)

ただし、「損害が不可抗力によって発生してしまった場合には損害賠償を求めることはできません」とあります。なんとか「不可抗力」に当たらないでしょうか?

アディーレ法律事務所より抜粋

しかし、これ、「過失」があった?とはいえ、高額です。

「校長」の責任負担があまりにも大きい。全責任(半額とはいえ)を負わすのは、いかがなものでしょう?それこそ地域の方々のあたたかい声かけがあれば、きっと解決に向かうでしょう。

もし、これがありなら、こんなこと起こりません?(ここからは個人的な意見です。間違いや矛盾があるかもしれません。あしからず。)

地域の方から「学校で夜遅くまで仕事している。電気代は誰が払っていると思うんだ。今残っている先生に請求しろ!」と。

みなさんはどう思われますか?

水泳の授業は、学習指導要領に記載されているため、行う必要があります。(ただし、水泳場の確保が困難な場合にはこれらを取り扱わないことができるが、これらの心得については、必ず取り上げることとなっています。)

昨今、プール管理を外部に委託する自治体も増えています。そこを議論し、よりよい方向に向かって行く事が行政にとっては大切なのではないでしょうか?

運動会

小谷ちいです!

昨日、ふと運動会のことを思い出しました。

みなさんの学校では、いつ運動会をしていますか?もしくはもうやってない?

5月にもう終わったところもありますし、9月下旬、地域と一緒に10月初旬などなど、学校の規模や特徴によって違うでしょうね。

もし良ければ、コメント欄に「うちの学校は〇月だよ~♪」なんて教えていただけると嬉しいです。

多分…5月半分夏休み明け半分だと思うので、運動会について抑えるポイントをまとめた動画も作れたらなあ…なんて考えています!

「小谷ちい」という名前

Mです。

ご覧頂き ありがとうございます。

WordPressの使い方がまだよく分かっていませんが

ブログぐらいは書けるだろうと思って書いています。

「小谷ちい」がYoutubeに登場するのは、多分お盆明けになるかと思います。

とりあえず、自己紹介(30秒VerとHPの内容Ver)を載せて

先生になった方々へ楽しい事を動画にできたらなぁと考えています。

さて「小谷ちい」という名前ですが

大谷吉継大好きっ子なので 大谷の反対で 小谷

「こたに」と読みたいところですが「おおたに」の「お」が使いたいらしいので

「おだに」になりました。

「ちい」は Mの名前の一部と「継」を「い」と読ませてひらがなにしました。(ちいかわとは全く関係ありません。)

名前を決めてネットで調べて、誰も使っていないようだったので、決定!

服の家紋は、違い鷹の羽紋(たがいたかのはねもん)です。1579年以前と関ヶ原の戦で使用したものです。普段は向かい蝶紋(むかいちょうもん)を使っていました。

小谷ちいは、鷹の家紋の方が好きなのでそちらを付けています。

そんな「小谷ちい(おだにちい)」を是非応援してください!

練習です!

WordPressの使い方が まだ分かっていないので 練習です!

2023年8月17日頃から 稼働します!多分…